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ニンギョウがニンギョウ の評価wwwwwwwwwwwww





●戯言のない維新

メフィストに載っていたニンギョウシリーズですね。
初めて雑誌で見たときは理解できませんでしたが
こうして手にとって読んでもやはり、理解できません。
西尾維新の言葉遊び的な独特の、それでいてテンポのよい文章は好きです。いや、それが好きなんです。
本書はどうだろう。なるほど、確かにたくさんの「独特」が出てきます
しかし、それ以上に、この世界自体が読みにくいので、「それ」を見つけるのにも苦労する。
新しいものを求めるのはいい事です、しかし、最低限として、読みやすい文章を書くというのもあるんです。
そういう意味では、このような評価になりました。
この作家には、期待も込めてもう少し違った作品を書いて欲しいです

(Amazonレビューより)



名言しておきますが。

この本に高い評価を付けるのは、西尾維新ファンではありません。ただの西尾維新信者です。

何故なら西尾先生の本をしっかり読んでいれば、先生が本を書く上で『物語自体の質』を非常に軽視していることは既に知っているはずだからです。

根拠は特に、この作品この作品

もし、先生が物語の質を重視しているなら、部屋の中に藁人形はおそらくなかったし、愚神礼賛の攻撃はあの下らない仮面ごと敵を粉々に打ち砕いていたでしょう。



では、どうして先生が物語の質を軽視していることが、「ニンギョウがニンギョウ」を高評価してはいけない理由に繋がるのでしょうか?

ピカソを例にとります。

ピカソは「出鱈目に描いたように見える絵」が、非常に高い評価を得ている稀有な芸術家です。

しかしそんな出鱈目な絵が何故、評価されるのでしょうかか?

それは彼には、「精密画の名手」という実績があるからです。要するに、ピカソは実際には上手く描けるけれど、敢えてそうしなかったのです。

そしてその裏話こそが、彼の作品を芸術たらしめていると言えるでしょう(敢えて出鱈目に描いたという事実が、そこに込められた様々な想いを想像させて、結果人心を掴む)。



では、ここで西尾先生の話に戻ります。

質問 「西尾先生に質の高い物語は書けるでしょうか?」       答え 「分からない」

理由は、先生の作品の中で「表現力やキャラクター」が素晴らしいものは多々ありましたが、「質の高い物語」を見つけることができていないからです。

まあ、おそらく書けないかと思いますが……(本を読んだ上での直感です)。



つまり何が言いたいかというと、「ニンギョウがニンギョウ」には実績がないのです。

実は上手く描けるけど、敢えて描かなかったピカソとは違います。

西尾先生は本当に「高い質の物語を書けない」状態で、「物語が破たんした作品」を書いたのです。

そんなの芸術ではありません。

強い表現をすれば、それは「子どもの落書き」と何が違うのでしょうか?



もし、あなたが西尾維新ファンなら。「ニンギョウがニンギョウ」をどうか、厳しい目線でご覧になってください。

仮に、「これは常人には理解できない芸術だ!」などと褒め称えてしまえば、それは。

あの素晴らしい「戯言シリーズ」と、「ニンギョウがニンギョウ」が同等のレベルの作品だと周りに勘違いされてしまう可能性すらあるのです。

肯定するだけが愛ではない。

私がお伝えたいのは以上です。




~I hope that you will meet in the best entertainment someday~


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